2016年9月21日水曜日

ブログデザイン変更しました(2016年9月21日)

この「ゆたりんブログ」のデザイン、大幅に変更しました。
(モバイル版の方は特にいじれないので、スマホなどで見てる分には色合いの変化くらいしかないと思います)
これまでは以下のようなデザインでした。
Fig.1 これまでのブログのデザイン

またHTTPSリダイレクトを有効にしました。これによりHTTPでアクセスしてもHTTPS接続となります。

そういえばこのブログは2007年に始めてますけど、レイアウトの変更などは特に記録して来なかったです。
まぁBlogger使い続けているのでテンプレート変えてるくらいでそう大して変わってはいないですけど、記録がないのはちょっともったいないですね。

レイアウトの変更点としては、サイドバーがこれまで左側だったのを右側に持ってきました。他のサイトでもそのようなデザインが多いので、それに合わせた形です。
コメントの入力方法も変更しました。これまではコメントを入力しようとすると別タブが開いて入力する形式でしたが、これからは同じページにコメント入力欄が来ます。個別の記事ではなくブログのトップページからコメントを入力するときは、
0 件のコメント:
というのをクリックすると入力欄が展開します。
また記事を読んだ感想を表せる機能を付けました。
[役に立つ][おもしろい][ふつう][しょぼい]
という選択肢がありますので、読んでみた感想を押してもらえるとありがたいです。

とりあえずこれで気分を一新してブログを続けていきますので、よろしくお願いします。

2016年9月20日火曜日

ストリートビュー(Google Map)をキーボード操作で快適に

ストリートビュー(Google Map)、実際の道路上を360°見ながら景色を見れるので便利ですね。初めて行く場所も前もって見ておくと、実際の街並みを確認出来るので地図を見るだけよりも迷わずに移動するといった使い方も出来ます。いまではレジャー施設や登山ルートなどでもストリートビューが見られる場所が増えてきています。
富士山ストリートビュー
東京お台場 日本科学未来館ストリートビュー

そしてストリートビューを見るときにマウス操作だと移動するたびにクリックをポチポチ押す必要がありますが、キーボードからもある程度操作可能です。操作方法は以下のようになります。

[↑↓] : 進路上を進んだり戻ったりできます。キーを押しっぱなしで連続的に移動することも出来るので、マウスをクリックする手間が省けます。
(ただ画像の処理が追いつかないと荒い画像になってしまいます)

[←→] : その場で停止した状態で視点を左右に回せます。
(どうも視点を上下に移動するキーはない模様)

また上下左右キーと対応して[W][A][S][D]キーも同様に使えます。
[↑:W] [↓:S] [←:A] [→:D] といった対応になっていました。

さらに
[+-] : カメラのズームイン、ズームアウト
も使えます。

マウスの方が柔軟に操作できますが、移動するときに[↑]または[↓]キー押しっぱなしでも出来るのはそれなりに楽ができますね。
片手でマウス、もう一方の手でキーボード操作するなど工夫次第で便利に使えると思います。

Google Mapは結構頻繁に機能追加などが行われるので、将来的にはこの操作方法も変わってくるかも知れません。


余談ですが、[?]キーを押すとGoogle Mapで使えるキーボードショートカット一覧が表示されますが、こちらにはストリートビューのショートカットは書かれていないようです。

2016年9月17日土曜日

Linuxのターミナル環境でお手軽にメモ取る方法

注意文
以下の方法はechoコマンドですでにあるファイルに上書きしてしまうと、そのファイルの内容が全て失われる危険性があります。参考にする場合は十分注意して自己責任で行なってください。


Linuxでターミナルでコマンド操作をするときに、どういった作業をしたのかとかメモを取りたくなることもありますよね。
デスクトップ環境ならGUIでメモ帳ソフト(gedit、Tomboy, Emacs, Vimなどなど)でも使って書き記しておくのが一般的でしょう。またGUIではなくそのままターミナルで各種エディタソフト(nano, Emacs, Vimなどなど)を立ち上げて書き記してもいいですね。

ただいちいちメモ帳を立ち上げるのもめんどくさい。ターミナルでも画面がエディタで占領されるのもなんとも…。
(screenってソフトでターミナル内で仮想端末をいくつか使えばなんとでもなるけど…)

そんな場合に、 「echo」コマンドとシェルの「リダイレクト」機能を合わせればお手軽にメモを取ることが出来ます。

例えば、コマンドライン操作でファイルを/usr/lib/hogehogeにコピーしたことをメモしておきたい場合は
  $ echo "このファイルを次に移動しますた /usr/lib/hogehoge" > memo.txt
とすれば memo.txt ファイルに「このファイルを次に移動しますた /usr/lib/hogehoge」と記録されます。
(ここで文字列をダブルクオート「"」で囲ってますが、別に囲わなくてよかったりシングルクォートを使ったりするのですが、そのへんはechoコマンドやシェルの仕様を参照してください)

さらに続けて記録したい場合には
  $ echo "hogehoge" >> memo.txt
と「>>」でリダイレクトすると、memo.txtに追記されます。
ファイルの中身は
このファイルを次に移動しますた /usr/lib/hogehoge
hogehoge
となります。

ここで間違えて「>」でリダイレクトするとmemo.txtは前の内容が全て消えて上書きされ
hogehoge
しか残りません。
おそらく凡ミスでもするとこうなるので、ちゃんとしたメモとして残すにはエディタを立ち上げた方がいいでしょう。また上書きせず、memo01.txt、memo.02.txtというように上書きしないようにメモファイルをその都度作っていく方法もあるかと思います。

それでもエディタも立ち上げずにターミナルからそのままメモが出来るので、一時的なメモを取りたい場合には役に立つと思います。
φ(..)

2016年9月14日水曜日

音楽プレーヤーソフト Clementine で勝手に音楽が流れる件への対処方法

Ubuntuで手持ちの音楽ファイルを聴くのに音楽プレーヤーClementineというソフトを使ってます。
Clementine Music Player

このソフト、高機能というわけではないのですが自分が使う範囲の機能を備えていて、普段使いする分にはぴったりです。
しかしどうも再生停止してたのに、なぜか音楽が再生されることがあってちょっと困っていました。

環境
Ubuntu16.04.1 LTS
Xfce4
Clementine 1.3.1

原因
探ってみるとUbuntu(Xfce4)の通知バーに表示されるClementineのアイコン上でマウスのホイールを上下に動かすと再生が始まったり停止することが分かりました。

Fig.1 Ubuntu(Xfce4) 通知バー
Xfce4では若干アイコンの表示がおかしいですが、左から5つ目のアイコンがClementineです。


解決方法
Clementineには通知バーのアイコン上でのマウスのホイール操作に関する設定項目があるので、この設定のチェックを外して機能を無効にします。
Fig.2 Clementine設定ウィンドウ
設定ウィンドウの該当する部分を拡大すると次のFig.3のようになります。
Fig.3 設定ウィンドウ拡大
動作の中の「Scroll over icon to change track」のチェックを外してやると、アイコン上でのホイール操作が無効になります。

通知バーに表示されるアイテムにはClementine以外にもマウスホイールに機能を持たせているものがあるので、もし不意にソフトが動いたりアイテムの状態が変わってしまう場合は、この件と同じような原因かも知れません。

2016年9月10日土曜日

現代社会における信頼性と多様な価値観について

ようやく現代社会における「信頼」とは何かという問いに対する解の取っ掛かりにたどり着けたかも知れない。

要は「対人関係」での信頼と「社会活動(ビジネス)」における信頼は別物のようだということ(職場での対人関係は要素が複雑なのでここでは考えない)。
「対人関係」においては、お互いの個としての人間性を見て信頼できるか判断される。
しかし
「社会活動(ビジネス)」においては、個人個人がその社会における役割を認識して、その役割を果たしているかどうかで信頼できるか判断される。
つまりビジネスでは「相手が望む役割を演じきれるか」が信頼できるかどうかの基準になるようである。

問題は、現実的にはビジネスと対人関係がまったく不可分ではないということに尽きる。例えばビジネスの場である会社での対人関係などは要素が複雑になる。
現在の日本のように社会性を元に信頼を構築しているような社会(他国ではどうかなんて知らんけど)では、それこそ個人同士の付き合いのコミュニティー、もしくは家に帰ったり実名性から離れられるネット空間という場でようやく社会における信頼性から切り離されて、個人同士の信頼性に身を置くことができる。
(しかしネット空間もSNSやネットビジネスなど急速に社会性を導入しようという波が来ている)

どうやら一般の人というのはその両者の信頼性をうまく使い分けることが出来るように思う。それが意識的か無意識的かというのはいくらか個人差がある模様。
極端に意識しなければ使い分けることが出来ない人間というのは、おそらくそれだけで疲弊してしまい一時的には対処出来ても長続きするには相当な困難があると思われる。

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[以下、多様性について]

おそらく社会の構造として、
誕生→家庭→地域社会→小中学校→(高校→大学)→社会人→
と段階を踏む中で社会性とは何かを身に付け、社会人となる頃にはビジネスと対人関係の信頼性の使い分けがある程度自然に出来るようになるのだろう。
だがしかし実際問題として何らかの理由により社会性を身に付けられない人間というのは出てくる。
その理由の一つとして成長段階で身に付ける社会性というのが明確に規定できないためというのがある。
社会というのは決められたものではなく、目には見えないが日々刻々と変化している。変化にはいろいろな要素があるが、その一つとして新たな価値観を持った人間が流入してくることによる。
もし成長過程で現代の社会に適応できないとしても、そういった人間が社会に入っていくことでそれを許容すべく社会が変化していく。
根本的には成長過程においてはどのような価値観でも排除せず、成長してきた多様な人間が入っていくことで社会が自発的に変化する、もしくは価値観を持った人間により変化されていく。
そして社会に新たな価値観が認められることで、その価値観を持った人間が社会性における信頼性というのを認識できるようになる。

新たな価値観を取り入れるスピードと、それを受けた社会の変化のスピードのバランスが取れているかどうかが重要となる。
無闇に価値観を取り入れすぎると、社会の変化が追いつかない。
また社会の変化が遅いと、新たに生まれた価値観が生かされず埋没してしまう。
(おそらく右派(保守)、左派(改革)というのはこういうことから派生したのだろうかと思う)

さて、ようやく個人的に消化できるような解の取っ掛かりに行き着いたようなので、今後は実際問題にどう対処すべきか考えていくことを軸に考えていきたい。
本質的には価値観をただ入れればいいのではなく、どうやって新たな価値観を社会に適応させていくか、またどうやって自らの手で価値観を社会に認めさせていくかというのも合わせて検討すべきなんだと思う。
現実問題としても社会に適応できずにもがいている個人に対してどのように対処すればいいのかというのは非常に大きな問題。

成長過程で価値観を認める(もしくは単なる放置)が、それに誰も率先して適応もしないし、価値観を認めさせる手段も与えずに、ただなるようになると放置し続け、誰かがなんとかしてくれる(最終的には政治)と考えるような空気が蔓延しているようには感じる。